2011年06月07日

ご愛読ありがとうございました。

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書き残していた、東京ラスト三日間のこと。

27日金曜日は、朝から荷造りラストスパート。
ほんと自分は「モノが捨てられない女」の典型だと痛感した。向こうで心機一転まっさらな生活はじめたらいいものを、「これを現地で買うよりはおくっといたほうがやすい」「これはどうしても向こうでも手の届くところに置いておきたい」って、どんどんフィン行きのダンボール箱の中ばかりが埋まってゆく。。。
壁にかけていたマグリットの絵(もちろんレプリカ)をどうしても持って行きたかったので、近所の画材屋のおっちゃんに泣きついて郵送方法のアドバイスを請うたり、大きい家具などは高円寺のコミュニティ掲示板に写真つきで書き込んだらどれもあっという間に売約成立したので(さすが貧乏リサイクル精神に満ちた街の申し子たち…)、その引き取りのスケジューリングしたり。その合間に、もうこれが最後かなという喫茶店に積極入店して、よくしていただいていたスタッフの方々、マスターなどにご挨拶。
夜は、私が上京して最初に働かせていただいていた職場の皆さんが、なんと壮行会をひらいてくださるとのことで、久しぶりに神田の街へ。辞めて一年がたとうとしているしがない元スタッフを揃って送り出してくれるなんて、なんて素敵な職場だったのだろう。。。と胸を熱くしながら、かつて昼夜も土日も関係なく苦労をともにしていた皆さんとの最後のひとときをめいっぱい楽しむ。

28日土曜日。
この日は我が家の大型家具を一挙に引きとってくれることになった、大学院時代の同僚とその彼女さんがでっかいワゴンとともに来訪。運送屋のバイト経験があるという彼、見事な手さばきで解体運搬作業をこなしてゆく。。。のを無力な女性陣が必死にサポート。その合間に転居届を出しに行ったり出前とったり、郵便局の方に集荷に来ていただいて、ついに全荷物をフィンに飛ばしたり。高円寺と池袋を往復しつつ、運搬完了したのが夜10時過ぎ。近所のもんじゃ焼きのお店で軽く慰労会をして、最後に二人と熱いハイタッチを交わして、お見送り。
NHK教育の番組制作現場に居る彼が、最近手がけた特集番組を、たまたま職場の隣の席の先輩が大感銘を受けて翌日オフィスでずっと話題にしてる…ということがついこの間もあった。大学時代はあんなにズボラでテキトーで教授陣の頭痛の種だった彼が、今やこの出世頭!いやほんますごいわ、うちら美学棟09修了生sの誇りだよ。「そっちの仕事が軌道に乗ったら、いつか一緒に番組やろうな」と最後にくれたメール、ずっと胸中保存しておいて私も頑張るから、気長に待っててな!!

その夜中は、深夜バイトでお世話になっていたお寿司屋さんに、初めて「お客さん」として来店。
私が知っているときと何ら変わらない職人さんの顔、厨房を任されてる中国人調理ボーイズの顔、一緒にバイターとして切磋琢磨してきた芸人見習い君の顔、そして、つんと酢飯の匂いがひろがる見慣れた店内とカウンタ。
二時半ごろだったけど、結構お客さんも多かった。ご新規さんの来店で古い引き戸がガラガラと開けられるたび、ついつい「らっしゃいませー!」と言いたくなるのを噛み殺しつつ。
まかないは、だいたいいつもお任せで握ってもらってたので、自分でいちいち食べたいものを伝えるというのは、なんか気恥ずかしいというか変な気分。職人さんたちからも、どことなくその違和感への照れ隠しが伺えるし。。
でも、相変わらずお寿司は美味しいし、相変わらず職人さんとの会話は楽しいし、相変わらずお客さんは皆幸せそうだし、誰がどこからどう見ても「幸福な場所」はやはり健在でした。住むに飽きたらず、高円寺の街で働きたい、接客業でもっとこの街の人と交流したい、という希望を、期待の何倍もの楽しさと温かさで叶えてくれたこのお店のことは、ずっと胸にしまっておかなければなりません。
なんだかんだで結構な量の飲み食いをして、ひとまずお会計に。。。と立ち上がると、「さっき、こっそり大将が自分のカードで支払いしてくれてたよ」との返答が!!!ううぅ。。。
いつの間にか私以外のお客さんが帰った店内、せめてものできることを、と私服ながら皆さんのクローズ作業を手伝って、支払う予定だったお金の一部をさりげなく義援金箱に投じて、皆さんの温かい見送りになんども振り返らされながら、お店を後にしました。

ベッドも布団もないつめたい床でひと眠りして迎えた最終日、29日。
大きなモノがだいたい引き取られたといいながらも、まだ細々したものの処理が残ったままで、掃除も全然着手できてなくて、そのくせ午前はなかなか頭も働かなくて、ともかくばたばたと要領悪く目の前のことに着手しつつ、大工の親方はじめ、最後に会う予定を作っていたいろんな方のお店やお宅を次々訪問。午後からは、家の片付けに手伝いに来てくれた(というわけでは本来なかったのだけど)オケの後輩や会社の元同僚、そしてラウラの多大なる協力を得て、タイムリミットと闘いながら(実際は惨敗して、大家さんに退去時間の延長を請うはめになったのだが。。。)ひたすら片付けとゴミ廃棄に奔走。何もなくなった部屋で、最後の晩餐にてつ兄の作ってくれたたこ焼きをみんなでほうばり、大荷物を駅に預けてから、先にはじめてもらっていた宴会会場に遅れて到着。高円寺最後の飲み会会場に選んだのは、私の「行きつけ」一号店、沖縄料理屋のきよ香。

自分を除けたら全く面識ないはずのオケの皆さん、ご近所の皆さん、旧職場の皆さんが一同に会した、私にとっては(自分で呼んでおいて)ただただ不思議な、走馬灯のような空間でした。でもそういえば、上京のために神戸を離れる最後の日も、たまたま私の高校の友達、研究室の友達、大学オケの友達がやっぱり一同に会していて、しかもそんな別々のコミュニティの皆さんからのメッセージが一枚の色紙に集まった奇跡的な寄せ書きをいただいたことがあったっけ。新宿発の夜行バスの時間は刻一刻と迫っているのに、なかなかさよならが言えなくて、結局ぎりぎりまで粘ってしまった。
お餞別にとサータアンダギーを持たせてくれた女将さんに何度も早口でありがとうを言って握手して、最後は皆さんと飛び出すように駅まで。高円寺駅改札では、まさかのアイノラ名物「フィンランディア締め」が響き渡り、それをこの街最後の記憶として、見送り(というよりむしろ荷物運びのお手伝い)部隊の皆さんと朗らかに総武線に乗り込み、どたばたと新喜劇のごとく新宿の地下路を集団疾走して、バス停まで。最後までガムテで荷物補強をしてくださったみなさん、ありがとう(ToT)

そんな感じで、ほんの一瞬も感傷に浸る隙を与えられぬまま笑いこらえてバスに乗り込んで、2年と2ヶ月お世話になった街、東京を出発したのでした。


「本当は東京なんかいきたくないねん!ただ、夢を叶えるために、しょうがなく、行ってきます!!」という身も蓋もない叫びを、神戸出発前夜の壮行会で別れの挨拶がわりに吐露して同胞たちに失笑されたことが、もうずいぶん昔のことに感じられます。

冷たいと思っていた街はずっと温かく、辛いと思っていた日常はずっと楽しく、夢が叶うと思っていた場所はむしろその夢のサイズを何倍にも膨らませて、想像だにしていなかった気流に私を乗せてぐいぐい運んでくれました。
もう暮らすことはないかもしれないけれど、今ではれっきとした、私の大好きな街のひとつです。

東京あや菜は、これにて生産終了。

これまで、更新率の下がる一方なこの気まぐれ日記を読みにいらしてくださっていた皆様、コメントなどですばやく反応や激励をくださった皆様、そしてとてもここに綴りきれなかった私の上京生活を彩ってくださった皆々様に、心より、深く感謝いたします。ありがとう、さようなら!!


そ・し・て

ここではまだ公表していなかった、新商品のご紹介を。


今後フィンランドでの活動の足がかりとする私の公式ウェブサイトが、地味にプレオープンしています。
併せて、ブログも一新してまたリスタートを切ります!

今後はこちらのホームページないしブログを通じて、皆さんと、変わらず遠距離友愛を続けていけたらと思っておりますので、これからも、ひとつよろしくお願い致します♪

公式ウェブサイト http://www.suomi-no-okan.com/

新ブログ http://suomi-no-okan.seesaa.net/


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それでは、今までどうもありがとうございました! Kiitos!

こばやしあやな拝


posted by あやな at 06:23| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月01日

疲労困憊

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さて、五月もいよいよ終わりですが、20日の退職からの約一週間、無職となった私が何をしていたのか(とりわけ宮城行きを辞退したわけ)を、ざっと思い返してみたいと思います。


5月21日、土曜日。

実は、昼下がりに総合病院に運ばれ、点滴を打ちながらMRIと血液検査を受けるというとんでもない週末を迎えておりました。起きた瞬間、体の各所に経験したこともない異変が起こっていて、直感的に、次にこの部屋に帰ってくるのは自分ではなく身内などの見舞人となる気がしたので、なぜか反射的に、朝脱ぎ捨てた衣類を片付けて、ささっと身辺整理をすませ、パソコンをつないで来週月曜からお世話になる予定にしていたボランティアを斡旋されているキリスト教会に「無理になりそうですごめんなさい」のメッセージを残し、仙台行きのバスもぽちっとキャンセルして、そのあと着の身着のままで外に出てタクシーを捕まえ、最寄りの総合病院へと向かったのでした。
まあここからさらに一波乱も二波乱もあり、練馬の病院まで大移動して脳神経科で精密検査を受ける事態に。

ここまで書くと一体どんなどえらいことが起こっていたのかと思われるでしょうが、各種精密検査の結果はいずれも「真っ白」、総診断結果は、睡眠不足+過労+ストレス+楽器やスポーツによる局地的な筋肉の使い過ぎ+寝ているときの体勢不良、でして。。。
というか、これらのうちのどれかが当てはまるなら、それでしょう、という判定だったのですが、自分の場合見事に全部当てはまったので、それらがどかんと退職で気の抜けた体に襲ってきたみたいです。

とりわけ、これまであまりおおっぴらには騒がないようにしていたのですが、実は震災以降、「寝ているときにくる余震」に対して、見事に身体が知覚過敏になってしまい、横になっていてどんな小さなのでも感知した瞬間、瞬時に心拍数があがって野生動物並に飛び起きて、そのまま不安で朝まで寝られなくなる、という軽度のPTSDを発症していたのです。。。この人一倍図太そうな私が!!笑
日中の活動中に来る余震に対してはそんなに不安や抵抗もないのにねえ。
これは紛れもなく、16年前の阪神大震災の時以来、地味に引きずり続けている症状で、あの時、寝ているさなかに突如襲ってきた揺れによって小五の心身に染み付いた衝撃や恐怖がトラウマとして残っているばかりか、ここ数カ月間、だんだん減ってきて規模も縮小しつつあるとはいえ、未だに余震が不意打ちしてくる環境で、すっかり体内定着されてしまっていたみたいです。

なので、もともと時間帯は人とずれていたものの、ちゃんと睡眠時間は確保していた生活から一気に慢性寝不足へと陥れられたのが、やっぱり良くなかったのかなと思います。加えて、まさにその同時期に重なっていた社会人やりながらの裏受験ストレスもなかなかのものだったし、最後は仕事の引継ぎのためにいつもの倍速で原稿書き上げたりしてたので。。。
思い当たること、ありまくりだったわけです(苦笑)

お医者さんも、そんな状況を知って、「とにかくはやく東京を出て、フィンランドでもどこでも安全な国に行きなさい」という、聞いたこともない最終診断を口にしてカルテを閉じました。

ともかく、このタイミングで、大事な部分の精密検査をやってもらって、少なくともそれらには異常がないとわかったこと(出国前の健康診断は、歯医者の定期健診くらいしか済ませていなかったので。。。)、退職と同時に名実ともに休養を得られたことは、結果的に本当によかったと思うべきですよね。ま、それなりに高くはつきましし、何よりの心残りは、ボランティアに力を貸せなかったことでしたが…こんな身で行っても迷惑かけるだけでしたもんね。倒れたのが宮城に着いたあとじゃなくて心底ヨカッタ。。。
ボランティアに際していろいろとアドバイスを下さった方、必需品を貸してくださった方、そして現地での寝床を提供してくださる予定だった方、結局成果には結びつかなかったのですが、大変勉強にも励みにもなりました、その節は本当にありがとうございました。


なんせ、何年ぶりかという本格ダウンだったので、さすがに一日二日で全快するほど容易くもなかったですが(そもそも、こんな時に限って、その翌週は明け方に強めの余震が多かったんよ。。。)、日に日に回復して、おかげさまで水曜日くらいには完全復帰できておりました。

ぽっかり予定のあいた四日間、なんだかんだで、東京でお世話になったいろんな方と最後にお会いしてお食事したり、ドライブにつれだしてもらったり、馬鹿話で盛り上がったり、最後のフィン語レッスンお願いしたり、初めての本格全身マッサージを受けてみたり、一人で映画(あまりに見慣れた光景ばかりでにやにやしっぱなしだった阪急電車)を観に行ったり、もちろん毎日銭湯に湯治に通ったりと、適度に外でもリフレッシュしつつ、家では、ホームページづくりの勉強とか引越し準備とか、結局ちょこまか動きまくっていたんですけどね〜。


で、当初予定通りの現実に戻ってきた金曜日からのラスト三日間の振り返り+総括は、もう眠いので明日に持ち越します。。。いやーさすがに関西帰ってきたとたん、よう眠れるようになりましたわ!!!
携帯打ってても、お菓子食べてても、何してても気づいたらすぅーっと新生児のように眠気に負けて意識飛んでしまうくらい。やっぱり睡眠は大事ですね。

ではでは、おやすみなさい。
posted by あやな at 01:54| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月30日

さよならは言わないぜ高円寺!

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家から一番近くて一番安くて一番美味しいコーヒーを入れてくれる昭和喫茶「なかむら珈琲」の、犬猫を愛してやまないかわいいおばあちゃん!


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気楽&貧乏な一人呑みライフを支えてくれたキタナシュラン認定の一軒、手づくり餃子居酒屋「柳亭」の、アツいロック魂と餃子魂を持ったおっちゃん!


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うちのお寿司屋の常連さんでもあり仲良くしてくださった、高円寺民で知らない人はいないご近所老舗カレー屋「コロンボ」の看板美人ママ(※純日本人です)、郁子さん!


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見かけたらいっつも呼び止めて楽しいお話し聞かせてくれて、東京にいながら浪花のソウルフードを食べさせてくれた、「ひっぱりだこ」を一人で深夜まで切り盛りする高円寺・阪急電車友の会相方のテツ兄(まもなく元気な赤ちゃんが生まれますように)!


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某高円寺在住フィンランド人のキープしてた菊の露ボトルを継承して以来もっとも長く通ってて、シメには頼まずとも「いつもの」裏メニューをつくってくださっていた、「沖縄料理きよ香」の沖縄&ミャンマー人お母さん


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ご自慢のオーディオでかける上質な音楽とともに、夜な夜な含蓄ある人生を語ってくれた、そして私とラウラを運命的に引き合わせてくれた、大工&木工職人の今西親方(の手だけ)!

(ついでにこのカクテルのような真っ青な飲み物は、そんな親方はじめ、いつでも早稲田通り沿いアーティストたちのたまり場となっていた、素敵なマスタークロちゃんが経営する「カフェSANTO」で今限定販売されている、「星屑ソーダ」という甘くて切ないソーダ水です。


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無限に繰りだせる素敵な言葉で応援してくれたり相談に乗ってくれてた、今西親方ファミリーの兄貴分でもある売れっ子路上詩人のたっくん(が、うちで使ってた巨大額縁を引き取ってもらったときにお餞別にくれた自作ステッカー)!ちゃんとさっそくトランクに貼ったよ〜


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愛情いっぱいの厳しい指導で夜のバイト生活を支えて下さり、いつでも笑顔でとびきりのお寿司を握ってくださった、ユーモアたっぷりで温かな職人さんたち、芸人見習いのバイト相棒Kくん、いつもきゃっきゃと私をいじり倒してくれた厨房のチャイ二-ズボーイたち!


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高円寺の街で偶然出会ったことで私の未来までを大きく変えてくれた、大切なフィンランド人ソウルメイト、ラウラ!


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思えば昨日に限らず、私のどんなにとっさで無茶な誘いにも、いつもすぐに駆けつけてきて呑み二ケーションにお付き合いくださった、中央線友の会の皆さんはじめ、高円寺呑みを愛してやまない音楽&会社&フィンランド&ご近所仲間の皆さん!


まだまだまだまだ、この街で出会って仲良くして頂いた人は数知れず。
私より先に街を出てしまった人、最後にどうしても会えなかった人、会えたけど写真撮りそびれた人、人、人、人、この街での出来事と思い出は、とにかく自分の人生をめいっぱい楽しんでいる人との出会い、交流、刺激、別れ、それがすべてでした。


最後のあいさつ回りのなかで、なぜか誰もに「あやなちゃんとはどうせまた会う気がする」といわれ、あんまり真顔で「さよなら」とは言ってもらえませんでした。。。
それよりも、とにかく高円寺魂に誇りを持って、体にだけは気をつけて、北国でたくましく頑張ってこいっ!との励ましを一様に(笑)

私自身も、また自分がこの街に帰ってきさえすればいつでも皆さんに会える気がしているし、みんなに負けへんように自分も頑張ってくるわ!という気持ちひとつで、この居心地のよかった小さな街をひとまず飛び出て、もうちょい広い世界を見てきます!

一度きりの人生、やりたいことはやるに越したことないし、何度でもやり直しきくし、方向転換も簡単にできるし、理想があればなんだってできる。そのことを肩肘張らず朗らかに教えて背中を押してくれた高円寺の皆さまに、心から「ありがとう」!!


さてそういうわけで、すでに今朝、神戸の実家に帰ってまいりました。
ラスト一週間のはしょりすぎていた日記や、東京生活の総括をあと2,3回投稿したら、いよいよこの「東京あや菜」にも幕を下ろして、近々「次」に移りたいと思います(^^)

posted by あやな at 18:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 高円寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

東京最後の夜明けは雨

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何もかもが持ってかれた空っぽの部屋。2年も暮らし続けた自分の住処じゃないみたい。

白い壁に物音すべてが空虚に反響して、寂しさばかりが吹きだまる。

パソコンデスク周りだけは、最後まで騒がしい。


昨日から今朝まで、最後に会いに行った誰もが変わらず優しくて、温かかったから、

今から直に横になるしかない床が

氷みたいに冷たく思えるにちがいない。


ちょっとだけ仮眠をとったら、

謝恩遍路の道を歩きに戻る。

いざ東京最後の一日。
posted by あやな at 05:24| Comment(3) | TrackBack(0) | 高円寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月25日

退職

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先週金曜日、予定通り無事にすべての仕事を引き継いで退職をいたしまして、その夜はもう、最後にこれでもかというくらい手厚く、会社の皆さんに半日がかりの壮行をしていただきました。

まず、前々からお約束していただいていた、歌うたいでもあられる我らが編集長の、一夜限りの屋上ミニライブ!
ビル風が吹き抜け、見上げると豆粒のような月が輝き、向こうで首都高の轟音がうなっている大都会の小さな屋上にて、ギター一本で、私のリクエスト曲、オリジナル曲、そしてアンコールに「ふるさと」というラインナップ。それはもう、がっちり心を掴まれて言葉がうまくでなくなりました。いつもいつも、私のへっぽこ原稿の8割部分くらいにダメだししまくってたクールな鬼編集長が…と思い返しながらだと、もうそれは余計に。

そのまま流れて一次会は、たまたま会社近くに見つかった宮城郷土料理専門店で、浦霞をはじめとする数々の地酒を酌み交わし、牛タンはもちろん、気仙沼ホルモンなる隠れ名物を堪能。お餞別の品をたっくさんいただいたのですが(あいも変わらずほとんどカエルグッズだったわけですが)、特筆すべきは、なんとバイオリン(いやここはビオラで)を弾くリアルな蛙ちゃんのピアス!!お隣りの席でずっと可愛がってもらっていた先輩が見つけてくださったそうです。ううぅ。
でも一番嬉しかったのはやっぱり寄せ書きですかねえ(これもまた蛙のパラパラ漫画状の画帳に、1ページおひとりずつ、全フロアの先輩が書きこんでくださっていました)。その場で読むと目から汗の危険があったので、目を通したのは皆さんとお別れした翌朝の電車のなかででしたが、能力もないくせにたかだか10ヶ月しかいなかった自分への身に余るメッセージの数々…改めて、いかに温かく恵まれた職場環境で働かせていただいていたものかと再度実感して、きゅんと胸が縮みました。あと、私の「the高円寺スタイル」は、社内では意外に好評だったことが判明しました(笑)←いっつもこれで帰省して旧友に会うたび「その格好…」と唖然とされてた

宮城のお店を出たのがすでに1時半くらいで、最後まで残った「武将編集チーム」の皆様が、結局この二年間東京らしいところにまったく行かずじまいだった私に「最後にどこでも行きたいとこ連れて行ったる!」と意気込んで迫ってきたので、「東京」ではなく「TOKYO」らしいところを…と、タクシーで眠らぬ街・赤坂や六本木のネオンのなかを駆け抜け、夜の東京タワーの真下まで連れて行っていただきました。


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今の東京タワーは、節電中ということでかオレンジ色一色のみの地味なライトアップに留められているのですが、その様は本家のエッフェル塔やヨーロッパ旧市街の落ち着きある夜の風景を思わせて、むしろ好感がもてました。
何よりやっぱり東京タワーは東京タワーで、酔いも冷めぬうちにここにやって来た誰もがそれぞれに、かつてこの仕事にあこがれてか、はたまた成り行きで「上って」きた街、TOKYOの永遠のシンボルに違いなくて、しばらくの時間、飽きもせず、ただただ無言でタワーを見上げてつったっていました。

写真は、私の「TOKYO」ツアー記念、全身で「TOKYO」を表現した一枚です(笑)

そのあと、だらだらと歩いて六本木に移動し、ハニートーストの有名な某ラグジュアリーカラオケ屋で、都会がまぶしい朝日につつまれる時間まで…。
全体をとおして、思いつく限りの「別れ」「旅立ち」「人生とは」縛りの歌を聴かせられ、なんかもはや、「きゅん」を通り越して「ぐさっ」とくるフレーズに攻められすぎて、にわかにフィン行きがおっくうになったほどでした(苦笑)サライなんて、今までまったく歌詞を意識したことなかったけど、あまりに自分そのものすぎてつらい。


遠い夢 すてきれずに 故郷を捨てた

穏やかな 春の陽射しが ゆれる 小さな駅舎

別離より 悲しみより 憧憬は強く

寂しさと 背中合わせの ひとりきりの 旅立ち


サライ→24時間テレビ→武道館…という連想ゲームが成り立つからかわからないけど、皆さんとの最後の愛しい時間を過ごしながら、頭では地震が起こった日のことをぼんやりと思い出していました。

最初はすぐやむだろうと思ってた揺れが突如として激しくなって誰もが外に飛び出して、クラクション音が鳴り止まない歪んだ異様な都会の光景を見上げながら、今にも地面が隆起してきそうな揺れとおどろおどろしい地鳴りが収まるのを、皆で輪になってただひたすら耐えて待っていた時間のこと。
そのあと、編集長の冷静な号令のもと順順に荷物取りにもどって、めちゃめちゃになった部屋に目を背けながらかばんとコートとって、ちゃんと社内のブレーカー落として施錠もしてから、誰一人途中ではぐれないようにと点呼と声掛けをしあいながら、武道館前まで列を作って避難したこと。そして状況が明らかになるまで全員で顔を見合いながら過ごした、不安だけれど安心感にまもられていた時間のこと。

結果、状況に対して十分すぎるくらいの、冷静で念には念を入れた集団避難だったわけやけど、日頃の訓練もなしにあそこまで確実に全員の無事と安全を守ってくださったこと、そして今でも自身があの当日のことを思い返そうとするとき、単に地獄のような光景と恐怖だけでなく、そこに皆さんの温かさや安心感を一緒に思い出せることには、心からの感謝の念でいっぱいです。もちろんその後の、余震のたびに人一倍びくつきぎゃーぎゃー騒ぐ私をなだめては、仕事中にも関わらず楽しい話題ばかり振って気を落ち着かせてくださった日々にも。

もうおそらくこの国での「会社勤め」ってのは経験することもないのかなあとぼんやり悟っているのですが、それにしても、たった二年あまりの私の会社勤めライフは、あまりに人間関係に恵まれていて、時間も思うように扱えて、夜に聞くストレス社会とは無縁の世界でした…ひとえに、会社で出会った皆さんのお人柄やスタンスへの共感あってこそだったと思います。きっと会社を離れてもまだまだ皆さんとの交流が続く、そう確信できることは、本当に幸せであり類稀なことなのでしょう。本当にありがとうございました、これからもどうぞよろしくお願いします。


まあ、そんなこんなであっという間に皆さんとの最後の楽しい時間には終わりが来て、いつものオールと変わらない気怠さのなかで一人ひとりとゆるくお別れして、家路につきました。


…実は、その後が凄まじかったのですよ。

今、宮城にいるはずの自分が、住み慣れた高円寺のアパートでのうのうとパソコンに向かっているその理由とは、、、


次回につづく。
posted by あやな at 04:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月20日

編集者さいごの夜

だいーぶご無沙汰にしていて、そのうえやっと書くのが写真もなんもない味気ない日記でごめんなさい。

GW明けから、おかげさまで(というのは変か?)公私ともに目の回るような多忙極まりない毎日です。
書いて書いて書きまくって、人に会って会って会いまくって(飲みまくって)。
日本でのこのどたばた生活も、来年くらいにはちょっぴり懐かしく(恋しく?)なってるのかもしれません。


さて。

今夜は、私の肩書きが編集者である最後の夜です。
ひょっとしたら、人生において会社員最後、でもあるかもしれません。


そんな哀愁ただよう丑三つ時、わたしは今…オフィスにいます。。。


仕事まじで終わらん!!!

ひーーん、だって、いつも最大週明け火曜までひっぱりつつ書き上げてる通常原稿4本+隔週でまわってくるひじょーにめんどくさい特集の執筆&編集を、明日(てか今日、金曜日)までに全部提出して、業務引き継ぎ最終確認して、机周りかたづけなあかんねんもーーーんん!!

むりむりむりむり。。。


今まさに、8/31の小学生状態です。はあぁ。

でも、これで最後だと思うと、マラソンのラスト1キロみたいに、不思議としんどさも省みず頑張れるってもんです。

しかも今週は、会社の皆さんの愛をこれでもかと享受させていただいております。
連日いろんなフロアの先輩がご飯に連れ出してくれたり(今日は東京ドームシティのムーミンカフェで、皆さんと本場よりおいしい?フィンランド料理の数々を堪能してきました♪)、夜にきゅんとくるメールくださったり、明日の夜の送別会の手配をしてくださったり、実は裏の顔がシンガーソングライターである敏腕編集長に至っては、明日の宴の席でオリジナル曲+私のリクエスト曲(なんとかのJose GonzalezのHeartbeatですよ!!!)を披露してくださると意気込み、さっきまで横で入稿準備されていたのに、そのままふらふらとレンタルスタジオへ直行されました。。。涙

恩を知り、恩に報いよーーーーーーぷおぉぉ(ホラ貝)

最後、ていう実感は、前の会社をやめた日同様、まだまったく湧いてはきません。
それなのに、終わりは終わりという、心おいてきぼりな切なさよ。

そればかりか今回は、「雑誌編集」っていう、私が最初に憧れて選んだ業種をも、ついに離れようとしているんやもんなあ。
(業界としては、今後もお付き合いが続いていってほしいところだけど)

編集って何してんの?ライターやデザイナーとどう違うの?という周囲からの質問には、定義する面倒くささもあいまって未だにきちんと答えられませんが、でも、とにかく、こんなに身軽にお勤めしててよいのかというくらい、楽しかった。
職場環境のおかげでもあるだろうけど、曲がりなりにも社会人として仕事をさせていただいていながら、「プレッシャー」はあっても「ストレス」はまったく感じないでいられる心地良い居場所でした。


さてさて、これより、最後のひとりの武将プロフィールの執筆にとりかかります(ちなみに、入社以来、計算するとざっと150人あまりのマイナー武将の生涯を書きまくってたことになるんですよ。。。アンビリーバブル)。

今週ラインナップされている4人のうち、あえて最後に残したひとりは…関空行きのJRが、大阪駅を出てずんずん南下して、一時停車して阪和線(和歌山行き)に向かう列車との切り離しを行う…あの駅名を苗字に持つ何某さんです(まわりくどい笑)

だいたいいっつも、この不思議な名前の駅にさしかかると、突如として「あーもうすぐこのせせこましい国でのよしなし事全部放り出して、広い世界に飛び出せる!!」という高揚感に肌が刺激されるんです。関空ユーザーさんには共感してくれる人も多いと思うのですが、いかがでしょ?笑

…だから今晩、この駅名の名を冠した武将の生涯を書き終えることで私の戦国武将雑誌ライフを終えられることには、何か特別な縁を感じずにいられません。これさえ書き終えれて通過すれば、あとは、広い空が、果てなき森と湖が、今のところまったく想像で描けない未知なる人生が待っている!!!

そう思って、あと10数時間がんばるとします!
嗚呼、幻聴でホラ貝の音が聞こえてきたとしても〜





posted by あやな at 02:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

青森旅行記「みちのくの希望」をちびちびと。

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さて、ちょっとずつですが、GW前半の青森旅行記を、フォトログのほうに公開しつつあります。

地震の悲しみに負けない、ポジティブで希望にあふれた魅力をたくさん見つけてくる、という当初の目的に沿って、とりわけ印象に残っている風景や事象ごとにクローズアップして描写や思い出を綴っていきます。


とりあえず今日時点で、


みちのくの希望〈1〉八戸港の守り神たち
http://bit.ly/jYch2f


みちのくの希望〈2〉ひとすじの道
http://bit.ly/meF3jW


ここまで。
まあ、文章化する素材としては、このあたりが旅の最初にしてすでにハイライト的なのですけど。。。後がちゃんとつづくかな?笑


ちなみに、すでにFBのアルバムには、ざっと写真を上げておりまして、こちらもアカウント持ってない方でも自由に覗けますので、先取りになっちゃいますがよろしければどうぞ〜


八戸港
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.10150170802796850.306103.653936849&l=7bd568c515

大須賀海岸
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.10150170812866850.306108.653936849&l=56d5ce0fc6

十和田市街(美術館)
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.10150170818881850.306109.653936849&l=08e84331a0

奥入瀬、蔦、十和田湖
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.10150170825106850.306113.653936849&l=ed6732253b

それからこちらは、青森の前に日帰りで訪れた日光のアルバム
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.10150170788121850.306102.653936849&l=ebf6d907f3


冒頭の写真の虹は、夜行バスではしった東北自動車道の道中、ちょうど岩手山背景に大きくかかっていたのを見つけて、寝ぼけ眼で思わずカメラを向けました。

東北自動車道は、もちろん補修はひと通りなされていて通行止区間はもうないんですが、やはり応急処置が多いのか、福島、宮城、岩手を通過するあたりでは、ずっと大型バスがホッピング状態で、見事に寝られるどころではありませんでした。看板に現れる地名も、最近ニュースで毎日耳にして心を痛めている名前ばかりだし。
午前三時半にはうっすらと夜明けが始まって、ああ、どんどん北に向かってるんだなあとぼんやり実感しながら、そのうちあっという間に日の出を迎えた矢先の、美しい架け橋でした。

きっといい旅になるな、というそのときの予感どおり、忘れられない旅になったと思います。

posted by あやな at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

復活した街の風物詩

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嬉しい速報です。

毎年この季節に、高円寺のスカイツリーこと、なみの湯さんの煙突にはためいていた色とりどりの鯉のぼりの群れが、なぜか節句を過ぎた「今日」、一年ぶりに復活していました!!!

というのも、なみの湯さんは年明けから大掛かりな煙突修理をしていて、この季節に間に合わせようとされていたはずなのですが、地震が来て、足場が無残になったり、むしろ瓦まで被害を被ったりで、一向に作業が完了されなかったのです。。。


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こちら、震災直後の、ブルーシートがぶっとんでむき出しになっちゃった修理過程のようす。。。

正直、この痛々しい光景、当時の日に日に建屋が崩壊する原発絵図を彷彿とさせるので、目にするのも欝でした。。。実際は北町のどっからでも嫌でも見えてしまうのだけど。


地震は、高円寺のお風呂屋事情に、もうひとつ悲しみをもたらしました。

南町にある、杉並24番の第三宮下湯さんとこの煙突が、揺れで倒壊してしまったのです。
(かつてここで紹介していた、やたらツッコミどころの多かったお風呂屋さんです)

実は、現存するお風呂屋さんのほとんどは、今やガスで水をあっためているので、あの立派な煙突はいわばシンボルでして、なくなってもあまり困ることはないのです(だから最近は、悲しきかな煙突をとっぱらってしまう老舗お風呂屋さんも多くて残念です。風呂お遍路さんの自分としては、夜の街を徘徊しながら、ぼんやりと煙突が見えたときの安堵感が嬉しいものなので)。

でも、第三宮下湯さんは、杉並区でも3件しか残っていない、いまだ薪でお湯を炊いている昔ながらのお風呂屋さんだったので、当然ながら、煙突はなくてはならない設備の一部でした。
ちょうど私が出勤するくらいの時間にはいつも、駅のホームから見える珍しい角柱形煙突から、黒い煙をもくもくと吐き出して現役稼働っぷりをアピールしていたのでした。

その大事な煙突が折れてしまったことで、震災直後は取り急ぎ「臨時休業」の張り紙が出ていたのですが、後日、やはり復帰困難ということで廃業を決定した、と営業されていた関係者の方が、涙ながらにブログで報告されていました(こちら)。
ほんとにたまたま、震災の一週間前に、私が最後にはいったお風呂が第三宮下湯でした。
大学院の同僚が高円寺に遊びに来てて、宮下湯のすぐそばにある行きつけの居酒屋「柳亭」で一杯やった帰りに、ノリで「寄ってこか〜」と手ぶらでおじゃましたのでした。
何かお告げが聞こえていたのかもしれません。

それでなくても人の手で守り続けるのさえ精一杯だった、貴重なお風呂文化の灯がこうしてまたひとつ、思いもしない要因で、ひとしれず吹き消されてしまいました。本当に、残念でなりません。


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話をなみの湯さんに戻して。
例年は、もう少し鯉の数も多くて賑やかなのですが、それでも、なんとか今年もこの景色を最後に見納めできて、よかったです。何年後、何十年後にまたこの街を訪れるときにも、元気なお風呂屋さん文化が健在でありますように。


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余談ですが、今年はそんなわけで?、ライバル湯の小杉湯さんが、代わりに早くから鯉のぼりを上げて、銭湯集中街をちょっと明るくしてくれていました。

小杉湯さんのシンボルは、なんといっても、表に掲げられた、その昔屋久杉で掘られたという一枚板の鯉のレリーフ。間近で見ると本当に立派です。玄関口にはこの鯉をモチーフとしたのれんが下がっていて、オリジナルTシャツもやっぱり鯉模様。高円寺のお風呂屋さんは、どこも鯉が守り神みたいなものなんですかね〜


ちなみに今年の菖蒲湯は、杉並区最北端にあるゆたか湯さんについに到達してきました〜。
杉並区制覇まであと6箇所。うーん、達成できるかなあ。。。
posted by あやな at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 銭湯らいふ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

Ayanala

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GW前半があまりに盛り沢山だったので、すっかりへたっております。。。もはやパソコン前に座るのもおっくう(苦笑)

いろいろと、連休中に終わらせとくべきこともリストアップしていたのに、半分も消化できないまま月曜日を迎えてしまいそうな予感です。はあぁ。

それでも、何事もタイミングを逸するとすぐお蔵入りになってしまうので、せめて日記だけは、感動覚めやらぬうちにぼちぼち書き続けなあかんですね。旅行記は、別途、鋭意執筆中ですので、先に4日の、オーケストラでのお別れ会のことを書き留めておきます。読んでくださる方の大半がオケ関係者外なので、ただの説明臭い実況中継文になっちゃいそうですが、お赦しください。


一昨日、東京にて所属していたオーケストラ、アイノラ交響楽団の皆さんが、物理的(距離的?)に今期をもって引退せざるを得ない私の壮行イベントを催してくださいました。その名も、「アヤナラ」。私のリクエスト曲を、最後に皆さんで一緒に演奏してくださる、という夢のような企画でした。

日頃はシベリウスしか演奏しない楽団ではありますが、もちろんこの日は、全作曲家の全作品から選び放題、でした(笑)きっと、たまにはこのメンバーで他の作曲家もやってみたいと願っていた団員さんも少なくなかったことでしょう。でも、私はどうしても最後に皆さんと、自分の中でのベスト・オブ・シベリウス作品、交響曲第5番をやってみたかったので、他の候補曲と共にその旨を幹事様にお伝えして、シベ5+フィンランディア(アンコール)というドリームプログラムで皆様にお願いすることとなりました。


正直、この大型連休のど真ん中、そんな遊び企画のためだけに集まっていただくのは主賓ながらさすがに申し訳なさもあり、そもそも、どれだけの人が来てくださるのやら。。。と心配もしていましたが、蓋を開けてみたら、ほぼ抜けパートなく一夜限りのフルオーケストラが出来上がっていて、しかもなんと、楽団正指揮者のユリ先生が指揮台に!!これもひとえに、定演も終わらぬうちから、スケジューリングや場所抑え、そして楽譜手配や皆さんへの呼びかけに動いてくださった幹事様やスタッフの皆様の熱意のおかげです…嗚呼本当に頭が上がりません。いいんでしょうか、こんな贅沢。。。

前半のリハーサルタイムは、いつものように容赦なく先生の細かな指導が入って、まさに毎週末の通常練習の雰囲気そのものだったもので、私としてはもうその時間が愛おしくてしょうがなくて(パート譜は一人まったく弾けてないのに。。。)、楽しい分だけ、「これが最後」という感情が強調されてしまうから、苦しくもありました。

休み時間には、ロビーの一角でとんでもない赤っ恥サプライズをご用意いただきまして、邪念を捨て、集中力を高めて、いざ一発勝負の本番へ。

お客さんこそ「2人」でしたが(笑)、空気はまたに舞台上の真剣勝負モード。

私が、ずっとOtaniemiの狭い部屋の窓から眺めていた森と凍った海の風景、そのBGMに流れ続けていたはるか遠い旋律が、よく知った人たちによって紡がれた生の音で、自分の体を包みこんでいる不思議さ。

もうすぐ、この音楽の世界に戻るんだなあ。

せっかくの、こんなに素敵な居場所に自分からお別れを告げてまでねぇ。

ていうか、なんでこの難曲が一発勝負でこんなすいすいと通り続けてるんやろ?


必死で楽譜にくらいつきながら、とてもそんな余裕はなさそうなものだけど、頭のどこかでは、一日を終えてふとんに入って眠りに落ちるまでの数分みたいに、ぼんやりと、そんな思考ひとつひとつにゆっくりと答えを見つけようとしていました。

そうしてあっという間に、曲が終わっていました。

自分は精一杯弾ききったのか、そのとき自分を満たしていた心地が期待していた満足感だったのかどうか、なんだかよくわからないままの、夢見心地の終わりでした。


ここから、会としてはクライマックス?を迎えます。

続きを書きたいけど、(もちろん何時間か試行錯誤はしたのですが)、どういうわけかもうこれ以上書けないです。。。ごめんなさい。

「書けない」宣言ってアンタ、それはもはや致命的な職務放棄に違いないのですが、この先の式次第とそこに沿う気持ちの記憶は、あの場にいなかった方を想定して状況を補足解説してまで「伝えたい」という気持ちとは残念ながらかけ離れていて、いま無理に他者を意識した言葉にすると、どうしてもわずかに色変わりしてしまうのが避けられなくて嫌だから、ここで手を止めます。

ごめんなさい。



最後に、言葉どおりの本音を3つだけ。

ーわたしは幸せです。

ーアイノラとみんなが大好きです。

ーありがとう、さようなら。



写真は、皆さんがお餞別にくださった、千人針タペストリーです。
このクロスステッチのひとめひとめを、私がまったく気づかないとこで(一体どこで!?)、お一人ずつ縫いあげてくださったのだそうです。最近引越し準備を進めていてだいぶ寂しくなってきていた部屋の壁が、またにわかに明るさを取り戻しました。
でも、まじまじ見つづけてたらフィンランド行きすら中止しかねないくらい気持ちがぶれそうなので、当分はチラ見が精一杯です。何においても自分はまだまだ弱いし未熟だし、あかんなーと萎えてばかりの昨日今日です。
posted by あやな at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽が好きだー! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月04日

帰還

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日光・奥日光にはじまり、青森は八戸・十和田まで歩を進めた弾丸旅行から、今朝、無事に高円寺に帰ってきました!!

これまでメディア越しに想像を及ばすしかなかった現実を、わずかばかり、自らの手で触れられる世界として目の当たりにし、肌で体感することとなりました。

現実は、あまりに重く苦しいけれど、ポジティブが取り柄の私なりに、その地で出会い、見つけてきた希望の種を、近いうちに日記と写真でたっぷりご報告したいと思いますので、今しばらくお待ち下さいね。


さて、一息つく間もなく、今日は楽しみにしていたような、まだ迎えたくなかったような、アイノラの皆さんとのお別れコンサート三昧の一日です。恥ずかしながら、題して、Sinfonia Ayanalaです!

第一部は、弦セクション+αの皆さんとのブランデンブルグぶっ通しイベント、そしてメインの第二部には、先日の定演でご一緒したオケの皆さんとユリ先生と、もう一度だけ、夢のオン・ステージを叶えていただきます…(幸)
演目は、フィンランド滞在期の冬、私がとりつかれたように毎日聞いて思いを晴らしていたシベリウス五番と、フィンランディア。打ち上げもばっちり完備!笑

はー どきどきしてきた。。。

posted by あやな at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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あやなとラウラの宅急便
たてロゴ 1031.jpg

http://pienijapanipuoti.seesaa.net/

本国フィンランド人向けの、高円寺発・なんでも宅配サービスを始めました!
お知り合いのフィン人さんにご宣伝いただければ嬉しいです。

Ayanan ja Lauran lähettipalvelu
Tokion Koenjin tunnelmallisessa kauppakaupunginosassa asuvat kaverukset lähettävät sinulle, mitä ikinä keksitkään pyytää.

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